2019年 1月のエクササイズクラス募集が始まった。
もう、早速の応募いただいて嬉しい限りだ。
ウチのエクササイズクラス、「感情」を扱うのが特徴だ。
演技にも、流れ・・・というか、「流行」と言ってしまってもいいのか・・・があるように感じる。
私が芝居を始めたころは、「自然な演技」「『ふり』をしない本当の感情」がフューチャーされていて、私もそれを求めて日々努力の毎日だった。
最近は、「感情」を重視しない演技?
これも意味は、自分の感情を発させるために芝居をしない・・・、台本に書かれたそのシーンの「結果」を目指す「目的」をきちんとやっていく演技
が、よく言われる。
私もそう思う。
全く!
きっと若いころも、それを求めてやっていた。
そのためにも自分を「オープン」させなくては・・・とも思う。
「自分の感情を発させるための芝居」これはダメ!
つまり、自分が「泣ける」「笑える」だけでは芝居じゃない。
・・・「子供のころ飼ってた犬が死んだことを思い出すといつでも泣けるんです」はギャグになっている。
ただ、じゃ「目的」を達成すればいいんだろう・・・的な、安易に相手をコントロールする芝居も危険な気がする。
これも、一歩間違えるとこれも俳優の個人的な快感に向かうことがある。その結果、ストーリーは見えてくるけどその「人間」が見えてこない。
俳優が「オープン」な状態で、台本をよく理解し、台本に書かれた「目的」を遂行すること。
これは演技の「両輪」ではないか・・・
と私は思っている。
私も、もういい年(笑)だが、まだまだやれることはたくさんある。役者としても・・・トレーナーとしても。
ワカモノたち! いや、いい年のオッサン、オバサンも・・・ ともに進もう!!!
※上記の文章の内容をより理解していただくために、先日、矢柴俊博さんが書いていたフェイスブックの文章の一部を追加させていただきます。
(何度読んでもすごくシンプルわかりやすい文章! やっしー、ぐっじょぶ!)
シーンをやっているうちに結果的に生まれてきた「感情」は、再現してはいけない。
結果である感情を表現してはいけない。
一人で思いを込めたりする心理的な表現をしてはいけない。
流れが止まるから。
生きた人物にならないから。
他の人物との交流が死んでしまうから。
それゆえ台詞が独り言になってしまうから。
「感情」は演じられない。
ただ、
登場人物が目的を持って行動することは演じることが出来る、と。
「結果」は再現してはいけないが、
「目的」に向かうことなら再現できる。と。
だから、
ライブで芝居を!
イコール、ライブで行動をし続けて!
と。
その結果湧いたり湧かなかったりした感情なら、たとえ激しくなくたって、説得力がある。