先日、無事・・・? 今は何が無事なのかわからなくなってきましたが・・・、とにかく熱を出す人も咳き込む人もなく、キャラシーンクラス終了いたしました。
後半のクラスの進行状況をアップさせていただきます。今回も長い!(スミマセン)
第5~8日目
練習の中盤から後半。
キャラクタークラスは・・・
役の人物になって、みんなの前で役の人物の人生で大きな出来事を話す。
結婚やら大きな病気やら、親の介護や死、さらには日本の家庭ではタブー的な家庭の内情。。。
離婚、家族の誰かが引きこもっている、宗教にはまってしまった・・・などなど。
ここまでくるとまさに「劇」だ。
そのへんのドラマや戯曲と何も変わらない。
そして役の人物は、それを真っ向から他人に語ろうとなんてしない・・・という状況が出てくる。
わざといかにも軽いことのように笑いを混ぜたり、それには絶対触れず断固「自分は何も思っていない」という態度だったり。
エクササイズクラスのプリントに「言葉は感情を表す方法の一つに過ぎない」とある。まさにその通り。
ここまでくると、その人が本当のことを話せる設定が必要になってくる。
このあたりからフィクションの「設定」が登場する。
普通の人が辛いことや恥だと思っていることをモノローグドラマにしていく場合、本当はこんなことはなかったかもしれないが、この役の人物が本当の気持ち・普段は出さない感情を表現する場面を作っていく。
酔っぱらったり、亡くなった誰かの遺影に語りかけたり・・・。
今回のキャラクターでは、「えー!その話、人前でするんだ!」と逆にみんなが驚いたケースもあったが・・・(笑)
シーンは・・・
これまでの自分の課題を克服しつつ・・・
だんだん細かいセリフの「言葉の意味」やら、台本の大きな流れ、を注意していく。
これまで感情の流れを重視してやっていた、それを切らないようにしながら・・・たとえば「お父さん」という言葉にこの時どういう思い入れがあったか・・・とかを丁寧に入れていく。
また「ここでこの台本は流れが変わっている」というポイントをちゃんと読んでいく。
ここまでは仲良くやっていたのに、相手のこの言葉のせいでいきなり険悪になったり・・・という「折れ」を明確にしていく。
それがきちんと出来ればできるほど、作家がお客様に何を伝えたかったかがはっきりしてくる。見ていて「面白く」なっていく。
ここでも、やはり俳優個人個人のクセ、特徴が大いに見えてくる。
長所は短所、短所は長所だ。
短所がダメで直さなければならに所・・・ではない。
今回、一組は岸田國士の「紙風船」だった。
言わずと知れた名作で、私も21歳、養成所の時に練習台本としてもらって「これは何!どこがおもしろいの??」と思い、その年齢ではなんなのか全然わからなかった。(笑)
だから、今回の20代の二人ももう「読み」玉砕に近かった。(笑・・・えないが、もうこの年なので笑ったよ!)
一つは、頭では読めている・・・が身体では出来てない事例。
たとえば、この戯曲の途中で夫婦二人がエア旅行をする、「鎌倉」へ。
この昭和元年の時代。中流家庭の新婚夫婦が「鎌倉」へ旅行するのは、今の時代ではどういうことなのか!
「これはどういうこと?」と質問すると「この時代ではとても簡単には出来ない憧れの旅行」と言葉では答える。
が、それが感覚的にどういうことか、わかっていない。
「今、憧れの旅行って何?」とみんなに聞くと、「モルジィブ」とか「イタリアのモンサンミッシェル」とか答えが返ってくる。
ちゃんとそれを「感覚的」に入れてセリフを言えば、全然、シーンが変わってくる。生き生きしてくる。
また、シーンをやっていてその俳優「言えないセリフ」が自分ではっきりしてくる。
その言葉の意味がだんだん分からなくなってきた・・・とか、前のセリフと繋がらなくなっている・・・とか。
それをそのままにしない。そのセリフは、相手を取れていない、自分の気持ちや意味がついて行っていないなど、何か修正が必要な言葉なのだ。それを丁寧に修正していく。
第9~10日目
最後の詰めの日程。
キャラクターは、人生の一大事をモノローグドラマにしてその台本を自分で書いて演じていく。
ここで一番大きなことは「台本のマジック」だ。
これまでは、役の人物になってフリーに話していた。いわば即興。
ここで「台本」登場!
役者って「台本」となるといきなり「次のセリフは何だっけ?」「どうやって終わるんだっけ?」と「頭」が入ってきて、それまでの「自由」さがぶっ飛ぶ。
必ず一度その洗礼を受ける。
必要な体験だ。
こんなに「台本」に捕らわれてしまうのだ。
それがわかったうえで、「自分をオープンした状態に持っていく」「役の人物になる」「このシーンに至った状況を信じ、感情を感じ取っておく」を丁寧に繰り返し、相手を意識して毎回新鮮に相手に言いたいことをちゃんと言っていく。
その結果、これまでにように感情も変化していく。
シーンは・・・
これまで順調にくれば、一般に言う「ミザンス」を入れられる。
このセリフの時はここに座ってて・・・とか、この動きで相手にアプローチして・・・とか。決めていける。決めても自然な流れでそれをこなすことが出来るようになっている。
演出の方々は、相手との距離感で二人の緊張感を表そうとしたり、「見せ場」でどっちかの顔が隠れたりしないように動きを付けていくだろう。それにきちんと答えられる俳優になりたいものだ。
今回のシーンクラスで、とある劇団に所属した俳優さんが参加されていて、やはり「先にミザンスやセリフの言い方」ありきな方が参加されていた。
リピテションで培ってきた「相手とのやり取り」ありき・・・ではなく「ここでこう動く」「で、このセリフはこの動きで」と、決めてかかってしまう。
そのやり方が悪いワケではない。
作品作りは時間との闘いだ。いつまでも俳優の個人練習をしている時間はない。だからミザンスなどの「演出」はどんどんついて行って、「作品」を仕上げていく必要がある。
ただ、私は「俳優の技能訓練」をしている。
だから、それでは身に着かなかったことを、こういうワークショップを開いてスキルアップしようとしている。
その俳優さんにそれを心底理解してもらえなかったことは残念だった。
その場合、どうなったかの一例をあげてみたい。
例えば、『「こっちに来て」というセリフに80%の悲しみが必要だ』と思ったとする。そうするとシーンを進行する中でそのセリフが来ると80%の悲しみを充電するまで「間」をとってしまう。
その間が積もり積もって、全体では3分長い!間延びだ・・・客は飽きる。
そういう事が起きる。
何故、それにこだわるのか!!!
俳優のエゴか!
こういうことに対して、以前、小川絵梨子さんは「感情なんか後で来るんだ」と言った。
そういうことになるよね。
また、動きでもそういうことがある。台本ではとても繊細に「ちょっと触る」なのに、自分の感情ばかりに注視してしまってガバっと相手の手を握りしめてしまう。
台本では「ちょっと触る」から、二人の微妙な関係が表せるのに・・・。
そうすると「相手が手をそのままにしておくのはオカシイ」ということになってしまって、台本が書いているストーリーを変えてしまうことになる。
「この二人は結ばれる話なのに別れちゃうぞ!」
台本を成立させることが、我々俳優のなすべきこと!
もうずっと言い続けているが、俳優のスキルアップには、色々なやり方がある。
そして、いくつになってもこれでいいということはない。
西山水木さんが、セリフ、言葉をとても大切にしていらっしゃる。
そのことから表すことのできる大いなる可能性を。
感情や相手との交流を基礎にやってきた私だが、これから水木さんの「言葉」をもっと身に着けて、もっともっと先に進みたい。
そして、そこから見える景色を・・・その「境地」(?)を体験してみたい。
今は「コロナ危機」で芝居は休眠状態かもしれないが、いつかはこの危機は去っていく。
その時また、歩み始めたい。
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